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音楽学習事業本部 本部長執行役員

鮎澤 和彦 Kazuhiko Ayuzawa

1972年生まれ。幼少より母親より三絃(三味線)、箏の手ほどきを受け、人間国宝 米川敏子に師事し名取を許される(許名:敏和)、1996年 法政大学文学部日本文学科卒業後、株式会社すかいらーくに入社、バーミヤン担当としてキャリアを積む。2005年 NHK邦楽技能者育成会50期終了後、プロ活動へ。2011年 EYS-STYLE(現2nd Community)と業務委託契約にて講師に着任。その後正社員となり現在に至る。三味線、箏をはじめ、二胡などの伝統楽器の家元やその奏法、歴史について深い造詣を持つ。

高度な演奏技術と音楽知識、さらに企業で培ったマネジメントスキル。
そのすべてが、一人ひとりのEnjoy Your Soundを叶える
EYSの音楽事業の真価を深めていく

会員さまと最前線で接するのは、レッスンを担当する講師の他に、レッスンの予約や調整など音楽教室事業を支える社員たちだ。その陣頭指揮をとっているのが鮎澤 和彦氏。かつて「三味線1本で食いつないでいけたらいい」と飛び立った青年は、その時に描いた以上の音楽と関わる喜びを得た人生を送っている。Enjoy Your Sound――音楽を楽しむすべての人を応援していきたい、という彼の旅路はまだまだ先へと続く。

Ayukawa Kazuhiko

音楽家と企業人。2つのキャリア

鮎澤氏は、EYSの主力である音楽学習事業の事業責任者として手腕を振るっている。業務にあたるスタッフの教育・管理、講師のフォローや管理、会員さまのサポート企画など多岐にわたる業務を統括する立場にある。EYSでは、大人の音楽教室の他、キッズ向けの音楽教室などキッズからシニアまで幅広い年齢層のあらゆるニーズを満たすコンテンツを展開しており、楽器・ボーカルなど扱うレッスンの種類も豊富だ。本社には日々お客さまや会員さまからレッスン予約やシステムの問い合わせ、楽器や音楽に関する質問が寄せられる。同時にそこはEYSの主力事業を肌で感じ取れる場所でもある。音楽をやりたい、続けたいという想いに一番そばで寄り添える場所なのだ。
EYSでは体験レッスン後そのまま、同じ講師がEYSの会員システムの説明をする手順を踏む。以前は営業担当を置いていたのだが、音楽や楽器に対する知見が深い講師が担当した方が、会員さまに対するメリットが高いと判断し変更した。そういった事業の転換期にも、鮎澤氏は講師と会員さまの双方からの視点を活かせる人材として期待に応えてきた。「私がEYSのスタッフとして評価されている部分は、講師の経験もありますが、前職で飲食業のマネジャーとして培ってきたホスピタリティやマネジメント力ではないかと思います」音楽家と企業人、その2つが鮎澤氏の強みなのだ。

Ayukawa Kazuhiko

「三味線1本で食いつないでいけたらいい」

幼少より実母から三絃(以下、三味線)や箏の手ほどきを受けた鮎澤氏が大学卒業後就職したのは、大手レストランチェーンだった。三味線の腕前は師匠級に達していたが、音楽を生業にして生きることに対して、苦労に苦労を重ね国立大学から大手企業の役員へとキャリアを築いたいわゆる立身出世を地で行く父親により却下される。一旦音楽からは離れ、組織の一員となり目の前の仕事に没頭し、マネジメント業務や新店舗立ち上げを任されるなど着実にキャリアを重ねていく。その7年後、父親が他界したことを機に、「今後は自分がやりたい人生を歩もう」と音楽の道へ進むことを決意。会社を辞め、NHK邦楽技能者育成会を受講し修了、プロの演奏家として活動をスタートした。その活動の中で出会ったのが設立間もないEYSだった。EYSの魅力は、自由に音楽と向き合えるという点にある。とりわけ家元制度により奏でる音楽、奏法に縛りが強い和楽器の世界では、三味線でロックを弾きたい、箏でポップスを弾きたいといったニーズに応えるEYSのコンセプトはまったく交わらない。だがプロの奏者としてさまざまな家元を渡り歩き、その奏法や歴史を学び和楽器の世界を広げていた鮎澤氏だからこそ、未来を見据えた先にEYSと響き合うものがあった。当初は業務委託で講師となり、その後正社員としてプロジェクトに関わるようになる。「講師と社員業務を兼任していた時期もあり大変でしたが、音楽に携わる仕事の広がりに楽しさを感じることができました」。

Ayukawa Kazuhiko

音楽と共に、この現代をどう生き抜くか

演奏家の多くが、『音楽を生業にしたい』と思うことは自然のことではないだろうか。どこかのマネジメント会社に所属し演奏活動を続けられる人はほんの僅かにすぎない。ではどうすればいいのか。鮎澤氏によれば、『楽器を触り続けられる環境に身を置くことが大切』だという。その一つとして講師になる道がある。生徒と一緒に弾いたり、デモンストレーションをしたり、形がどうであれ演奏機会が増えればテクニックは安定し磨かれる。それにお金をもらえるのだ。音楽の情報も入りやすく、視野を広げることもできる。実際にEYSで講師をしつつ自作の音楽を発信し、コミュニティを作り演奏活動をする人は少なくない。「音楽と一緒に生きていく。たとえそれが小さな活動だったとしても、それができたのならばそれは一つの完成形だと言えるのです」と鮎沢氏。TVの音楽番組もなく、メジャー契約ができても売れるCDを作るのは難しい、欧米のように演奏家を守る組織も無い現状では、演奏家として渡り歩くのはサバイバルだ。鮎澤氏の見解は、演奏家である彼らを一番近くで見てきたからこその言葉なのだろう。

Ayukawa Kazuhiko

今までの音楽人生をEYSでさらに輝かせる

鮎澤氏は、演奏家、会員さま、お客さま、音楽に関わる人々へ常に温かい眼差しを向ける。音楽を愛する人一人ひとりに自分らしい音楽と幸せの形を築いて欲しいと、本気で思っているのだ。中でも演奏家への想いは深い。それは自らも演奏家であるゆえんなのだろう。「楽器はあるレベルに到達するには、最低でも1万時間の練習時間が必要だと言われています。講師レベルにある方のほとんどが、幼少期からそれを続けることができた人です。練習が当たり前で気づいていない人も多いかもしれませんが、『コツコツと地道な努力ができる人』その能力をEYSなら活せるシーンがあります」実際にトロンボーン奏者のスタッフが金管楽器の問合せに深い知識で対応ができたり、鮎澤氏自身も和楽器のみならず二胡などの伝統楽器まで幅広く対応できたり、楽器の種類、音楽性、レベルなど様々な角度と深い見地から発せられる彼らの言葉は、さまざまな楽器や音楽が交錯し影響しあう『EYS音楽教室」の真価をさらに深めている。
「誰のどんな経験もEYSには大切な財産です。EYSには様々な事業がこれからも立ち上がりますし、関わっていくことで今まで積み上げてきた音楽人生は間違っていなかったのだと思ってもらいたい。そういう人を私も応援していきたいと思っています」EYSは互いのキャリアを尊重し、影響しあい、高めあいながら自らの世界を広げられる場所なのだと、創業時からキャリアを積む鮎澤氏の軌跡がそう語っている。

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鮎澤 和彦
音楽学習事業本部 本部長執行役員

鮎澤 和彦

1972年生まれ。幼少より母親より三絃(三味線)、箏の手ほどきを受け、人間国宝 米川敏子に師事し名取を許される(許名:敏和)、1996年 法政大学文学部日本文学科卒業後、株式会社すかいらーくに入社、バーミヤン担当としてキャリアを積む。2005年 NHK邦楽技能者育成会50期終了後、プロ活動へ。2011年 EYS-STYLE(現2nd Community)と業務委託契約にて講師に着任。その後正社員となり現在に至る。三味線、箏をはじめ、二胡などの伝統楽器の家元やその奏法、歴史について深い造詣を持つ。

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大澤 聡
共同CTO

大澤 聡

一橋大学経済学部卒業後、2001年日本IBMビジネスソリューション株式会社に10年間勤務し、企業のシステム開発に従事。2012年に入社。会員向けサイト「セカンドコミュニティ」立ち上げにあたり、Ruby on Railsによる開発を担当。現在は基幹システムから会員・一般向けサイトの開発、運用までを担っている。

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