大澤 聡 Satoshi Ohsawa
一橋大学経済学部卒業後、2001年日本IBMビジネスソリューション株式会社に10年間勤務し、企業のシステム開発に従事。2012年に入社。会員向けサイト「セカンドコミュニティ」立ち上げにあたり、Ruby on Railsによる開発を担当。現在は基幹システムから会員・一般向けサイトの開発、運用までを担っている。
自由な挑戦ができるのは、
足元を支えるエンジニアがいるから。
複数のプログラミング言語を使いこなし、
EYSのシステムを一手に引き受ける。
Inspiart事業で自由に新たな挑戦を進めるエンジニアたち。しかし、その足元が不安定では大きな飛躍は期待できない。EYS-STYLE(現2nd Community / 以下、EYS)はその点も心配はない。業務システムから、音楽教室の会員向けサイトまで一手に引き受けるエンジニアがいる。大澤 聡氏。「フロントからビジネスロジック、データベースまでなんでもやります。全部できないとエンジニアとして意味がないと思うので」と話す彼にエンジニアとしてのあるべき姿を聞いた。
会員向けサイトをわずか3ヶ月でリリース
大澤氏のすごさを伝えるエピソードのひとつが、EYSの会員向けサイト「セカンドコミュニティ」の立ち上げだ。なにもないところから開発をスタートし、エンジニア2人でリリースまでにかかった期間はわずか3ヶ月。「ほかに誰もいなかったですからね。事前に仕様を決めるウォーターフォールではなく、細かな仕様は置いておいてまずはログインできるところまで、次はレッスンの予定が出るところまで………と作りながら確認するスタイルで進めたので、早かったのもあると思います(大澤氏)」いわゆるアジャイル開発である。いまでは取り入れる企業も増えているが、当時はまだ少なかった先進的な開発スタイルをいち早く取り入れていたということだ。常に動作や画面を確認しながら進めるアジャイル開発は手戻りが少なく、短期間でリリースできることが特徴として挙げられるが、「それは想定した動作かどうか」「この機能は優先するのか」といったことを素早く判断できるEYSではそのメリットが最大化されたのだろう。
言語も、開発領域も、全部できなければ意味がない
さらにその後さまざまなシステムに関わり、今では基幹システムから会員向けシステム、一般向けWebサイトに至るまで全システムの運用管理、メンテナンス、開発を一手に担っている。基本的にはWebシステムが中心ではあるが、言語はJava、Ruby、PHPとそれぞれ異なる。しかし「プログラミング言語は書き方が違うだけで基本的な考えは一緒ですから、やればできます。それぞれ書き方のクセのようなものが違うので、それを切り替えるのは面倒ではありますが、問題になるようなことではないですよね」と話す。言語だけではない。Webシステムのフロントから、ビジネスロジック、データベース、大規模なプロジェクトでは分業されるケースも多い分野だが、これらもすべて一人で担当しているのだ。「なんでもやるのが私の強みと言えますが、むしろ全部できないと意味がないとも思います。誰かがやってくれるわけではないから自分でやるしかないというのもありますけど」と笑う。任されるものも、裁量も大きいから、スキルも磨ける………そんなEYSの環境が彼にマッチしたのだろう。
プログラミングが評価されない環境に違和感
そんな大澤氏は前職で大手SIerにおり、10年ほどキャリアを積んだという。「その会社は開発も分業が進んでおり、EYSとは真逆の方向に進んでいました」と話す。特にプログラミングはオフショア開発が主流でになっており、「プログラミングは誰がやっても同じ」「マネジメントしなくてプログラミングをしている人は偉くなれない」といった雰囲気に違和感があったという。「マネジメントをして偉くなるキャリアパスに魅力を感じなかったのもありますが、プログラミングの仕事をしない仕組みが本当にうまくいくのかも疑問でした。プログラミングを理解していない担当者が仕様を作っても、いいものにはならないですから(大澤氏)」実際、炎上したプロジェクトに“火消し屋”として投入されたことも何度もある。オフショア開発自体に問題があるわけではないが、管理する側があがってきたもののどこが悪いのか、どこを直せばよいのか分からないような状態では、プロジェクトがうまくいくワケがない。そのなかで、プログラミングをしっかりと理解し、自ら手を動かすことのできる大澤氏が頼られていたというのは納得だ。
採用方針は「手を動かせるエンジニア」
SIerでの仕事やキャリアに疑問を抱いた大澤氏が、転職活動のなかで出会ったのがEYSだった。EYSの採用方針は、ちゃんと手を動かしてコードを書ける人を採用すること。まさに大澤氏の望む方向にあったものであった。「面接のときから、どれくらいロジックが作れるのかを確認されました。Ruby on Railsのプロジェクトを見せられて『ここでこういうことを実現したいとき、どうしますか?』とその場でホワイトボードにソースコードを書くんですよ。私が入社してからも採用のときには同じことをしていましたが、これをするとソースコードが書ける人と、全然書けない人がはっきり分かります(大澤氏)」いかに、プログラミングを重視しているかが分かるエピソードだ。大規模なプロジェクトを率いて多くのメンバーをマネジメントし、出世したい、という人には向かないかもしれない。しかし、エンジニアとして自らの手でなにかを作り上げることを重視する人にとって、EYSは魅力的な場であるに違いない。
任されるのは、信頼の証
実は大澤氏は1度EYSを離れている。そして、ベンチャー企業で目指す理想を実現すべく尽力していたが、事業のマネタイズに至らず頓挫。「ちょうどその頃、見張られていたのかなと思うくらいいいタイミングで社長の吉岡から連絡があって、戻ってこないかと誘われました(大澤氏)」最初は外注として仕事を請け負い、その後正社員として復帰したそうだ。
大澤氏ほどの技術力があれば、ほかの会社を探すことも難しくはないだろう。にもかかわらず、EYSに戻ることを選んだのは開発への姿勢や想いに共感する部分も大きかったに違いない。
もうひとつ大きな理由として在宅勤務を認められたことを挙げる。「子どもが3人いて、1人はまだ小さいので、在宅勤務を希望したらあっさりOKが出ました。会議などがあるときだけ出社して、なければずっと在宅です」というが、それで問題なく仕事が進むのも、同氏のスキルがあるからなのだろう。大澤氏も「こういう勤務スタイルでも支障がないから問題ないと認めてもらえる雰囲気があるのも、嬉しいですよね」と話す。今ではテレビ電話もあり、ミーティングもリモートで参加できる。在宅勤務を後押しするツールはすでに揃っている。また、大澤氏は1人で全体を担当する案件も多いという。メンバーのマネジメントをしながら、チームで仕事を進めるのではなく、1人でひたすら手を動かしたいという志向とも合っていたのだろう。
「今はなんでも『とりあえずこれ改修して』って飛んできますよ」と話すが、それも信頼の証。何事も任せて大丈夫という安心感があるからできることであり、それをしっかりと受け止められるのも彼だからこそ。今後は「セカンドコミュニティ」のリニューアルとあわせ、Inspiart事業との連携も視野に入っている。大澤氏がいる限り、挑戦の基盤は盤石。どのようなものが世に出てくるのか、期待は膨らむばかりだ。
大澤 / 執筆記事
音楽学習事業を推進する
プロジェクトメンバーのご紹介
鮎澤 和彦
1972年生まれ。幼少より母親より三絃(三味線)、箏の手ほどきを受け、人間国宝 米川敏子に師事し名取を許される(許名:敏和)、1996年 法政大学文学部日本文学科卒業後、株式会社すかいらーくに入社、バーミヤン担当としてキャリアを積む。2005年 NHK邦楽技能者育成会50期終了後、プロ活動へ。2011年 EYS-STYLE(現2nd Community)と業務委託契約にて講師に着任。その後正社員となり現在に至る。三味線、箏をはじめ、二胡などの伝統楽器の家元やその奏法、歴史について深い造詣を持つ。
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一橋大学経済学部卒業後、2001年日本IBMビジネスソリューション株式会社に10年間勤務し、企業のシステム開発に従事。2012年に入社。会員向けサイト「セカンドコミュニティ」立ち上げにあたり、Ruby on Railsによる開発を担当。現在は基幹システムから会員・一般向けサイトの開発、運用までを担っている。
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