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instrument development

ここがつらいよ楽器開発 ―歴任者座談会―
~若手担当者に伝えたい、
これまでとこれから~

「入会者に全員に楽器をプレゼント!」は、もはやEYS音楽教室の代名詞。2009年のサービススタート時から実際にプレゼントされた楽器は、2万6000余り(2023年7月現在)。とはいえ、プレゼントに値する楽器の調達の道は、決して平たんなものではありませんでした。箱を開けたら、なんとサックスが真ん中から割れていた!肝心の音が出ない!といったアクシデントに見舞われながら、当時のスタッフがどのように「EYSがプロデュースしたオリジナル楽器をプレゼントする」というプラットフォームを整えてきたのか。 当時をよく知るEYS(現セカンドコミュニティ株式会社。この記事では旧社名、EYSと表記)の卒業生お二人をお招きし、現在、楽器開発をする担当者、稲田とともに当時を振り返ってもらう座談会を企画しました。

司会 ライターM: セカンドコミュニティに長年興味を抱き続ける傍観者。

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塩崎さん:EYS卒業生。2010-2018年EYS在籍。店長、楽器開発、人材教育などさまざまな業務を歴任。現在、LPガス会社にて人事担当として活躍。

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森田さん:EYS卒業生。2015-2017年在籍。EYSの経営企画室にて事業全体を推進しつつ、各担当の助っ人として様々な業務を担当。現在は投資会社にて勤務。国内外の様々な経営者と関わって仕事をしている。

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稲田:セカンドコミュニティ株式会社 現楽器開発担当

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otolier image

そうだ!自分たちでやればいいんだ

――自分たちでオリジナル楽器を作ろう!と動き始めたのは、2015年頃でしたでしょうか?

そうですね。当時のプレゼント楽器は、卸から仕入れていたのですが、お客様からのクレームが多く、とはいえEYSが品質の細かい部分まで卸を越えて製造元に切り込んでコントロールすることは困難で、どうしたらいいものか頭を抱えていたんです。 その打開策で、自分たちで楽器を開発しようとなりました。社長がアメリカで楽器市を見てきた経験から、楽器の品質は改善できると。世界の良い工房と取引できれば、質の良い楽器を作ってもらえると考えたのです。

――そこで世界の楽器市へ行くことになったのですね

まず台湾の楽器市に講師にも同行してもらい十数人で行きました。講師に弾いてもらい「演奏しやすい」「音がいい」と買い付けたものをリペアラー(楽器を修理する人)に見てもらいましたが、それは「良い楽器とは言えない」と。楽器として音は良いが、「良い品質か」という点では違うというのです。楽器には個体差があり1点ものとして奏者にとっては良いかもしれないが、多くのお客様にプレゼントする楽器は、工業製品として優れていなければいけない、平均して良い音が出るものを選ぶ必要があると。それは、EYSの楽器開発のコンセプトが決まった瞬間でした。
その後は、楽器を作っている人やリペアラーに見てもらおうと、中国やドイツの楽器市へ彼らと共に行きました。そうやって調べていくうちに、楽器がどういう風に値段がつけられているのかもわかってきて、プレゼントだけじゃなくて、ECサイトで販売をしてみようという話も出てきました。

――Otolierというブランドで、世界中の工房を集めたECサイトを作ろうという構想でしたよね。

そうです。ECサイトの位置づけや楽器の見せ方や値付けなど、ビジネスとしてどのようにするのかを話し合いました。まずはプレゼント楽器として人気のあったヴァイオリン、サックス、三味線、二胡の4楽器を何とかしようと、十数人で中国の楽器市へ。私はヴァイオリンを担当し、5日間で1000近くの工房を周ろうと計画。逆算して2チームで1ブース15分~20分のペース周りました。通訳が足りなかったので、直近で採用した中国人講師に急遽同行してもらい強行!結果、良い取引先を見つけることができました。

――その後、ドイツの楽器市にも行きましたが、こちらは森田さんも行かれていましたね。

ドラム担当で300社くらいドラムのブースがあったと思うのですが、ヨーロッパらしさとおしゃれ感のあるメーカーを中心に、ひたすらローラー作戦で周りました。でもそれだと機械っぽい話し方になってしまうので、とにかくテンション高めに「仲良くなろうぜ!」といった感じで。後のやりとりでも思い出してもらえるようにと、とにかく3日間ハイテンションでバンバン周りましたね。集めたパンフレットがすごい量になっちゃって…詰め込むのに苦労したのを覚えています。

ハイテンションの裏では、「ボウズでは帰れない」
超プレッシャーが!

――「いくぞー!」みたいな、テンションですが、心中はどんな感じですか?

塩崎さんはめちゃめちゃプレッシャーだったんじゃないですか?

そうですね「ボウズでは帰れないぞ」みたいな。出張に大人数で大金かけてヨーロッパまで行っているので、何かしら吊り上げないと!と思ってプレッシャーがかかっていましたね。

そうですね、Otolierのビジョンがかなり大きくなっていて、それを株主に伝えた手前もあって、プレッシャーはありました。私らは「もう行くからにはやるしかない!」って腹をくくっていましたけれど。「ドイツ出張いぇーい!」みたいなスタッフもいて、立場によってはそこの温度差は若干あったかなと。

一緒にいったメンバーがスタンガンを使って空港のセキュリティにとめられたハプニングもあったよね(笑)。

――そんなことが…。海外と取引する中で騙されたことがあったと聞いたのですが

出張の時の話ではないのですが、社長に「出荷前の楽器を直接現地の工場に見に行くように」と言われて、行ったのですよ。マイナス15度のめっちゃ寒い北京に。「そんなの日本に到着してから、不良品をチェックして返品すれば良いのではないか」と思っていたのですけど……行ってみたら100個中まともな製品がなんと60個しかない!残りの40個は盛りムラや調整欠けなど、普通に流通していたら返品レベルのものだったのです。それを平然と納品しようとしているんですよ。しかも、日本へ送った後は返品に応じないと、しれっと言うじゃないですかっ!

――しれっと!? それは、確認に行って良かったですね

木材の産地についても、○○産のスプルースとか、▲▲産のメイプルとか仕様書に書きたいのですけど、中国では全く教えてくれなかったですね。わからないからだと思うんですけど……。最後は何とか聞き出しましたけれど、本当のことを言っているか否か、もう信じるしかない!という感じでしたね。国内では、楽器を大量に積んだバンを運転中、くるっと横転して事故りそうになったこともありましたし……まぁいろいろありました。懐かしいです。

とにかく夢中で走り続けた中で得たものは

――当時のご自身の仕事を振り返って思うことは何でしょうか

当時は自分が未熟だったこともあって、「少ない人数でやることが山ほどあるのに、ドイツに行くより優先的にやることあるよね」って思いながら仕事をしていました。でも逆に言うと、その優先順位は、自分たちがつけるべきだったと。社長は、ビジョンを打ち出して、ビジョンに向かってみんなを引っ張っていく役割。アクセルを踏み続けるのが仕事です。我々はそこを現実的に捉えて整理しないといけない立場だった。でも言われるがまま飲みこんで走っちゃったような部分があったと、今になって思います。 一番良くなかったのは、野党精神というか、社長が「こういうことをやりたい」「こういうことができたらお客さんが喜ぶだろう」というものに対して、できない理由をいっぱい並べることができたんですよ。そうは言うけれど、こういう時間軸や人員体制の下で、お金がない中でやるべきじゃないとか、できないとか、マイナスの発想があったんですよね。その一方で、社長が言うのなら自分がどう思おうが「やる」ということが自分の仕事だと、それが当時の自分のスタンスだった。でもそれは、今から思うとすごく恥ずかしいことで、この仕事が「自分ごと」になっているのであれば、やはり社長へきちんと意見をぶつけるべきであり、走る前にちゃんと飲み込んで打ち返すべきであったと。結局自分に主体性がなかったことに落ち着くのかなと。 今、仕事で様々な会社の経営に携わる中で、「あの時の社長はこういう想いでやっていたのに、自分はこう返してしまっていた」と、反省することが多いですね。あの時何かを学んだというより、あの時「できなかった自分」を反面教師にして、今頑張っているっていう状況です。

――塩崎さんは振り返っていかがですか?

あの仕事を通して、仕事をどこまで細かくやるべきか、仕事にこだわるってどういうことなのか、といった感覚は身についたと思いますね。社長の頭の中では、プレゼント楽器を仕入れるっという段階で、どんなカタログで、どんなタイミングでお客さんに届いて、その箱をお客様が開けたときにどんな感動があるのか、どこがどうなっていると喜ぶのか、などそういった絵柄がイメージできているんです。でも当時の私はそこまでイメージできていなくて、取引先を探すことやスペックを見ることで精一杯!社長に「違う」と言われても先回りできていないところが多々あって、そこが反省点です。 実際にお客様の手に楽器がわたった時に、いくつかのクレームを実際に受けてはじめて、社長が言っていた本当の意味が理解できたような気がします。美しいOtolier専用箱に入って、届いて、開けたら楽器に彫刻やシリアルナンバーが入っていて、感動して、そしてはじめて「一生ものの楽器として使いたい」という想いになる。

――そういったビジョンの共有がもっとできていたら上手くできましたか?

いや、やはり上手くはできなかったですね(笑)、全てがゼロからのスタートですからね、ただ、どういう形で仕事をするべきか、ということは理解ができました。ビジネスのゴールにお客様の喜ぶ姿があって、すべてはそこからはじまるということを――そこをきちんと理解していれば、10回の提案も5回で済んだかもしれない、無駄な工数を踏まなかったかなと。

自分にとって「仕事とは何か」を考える働き方を

――当時はブラックな働き方だったような気もするし、でも面白そうでしたし、これから未来を担う方にエールを送るなら?

EYSでの仕事は常に「仕事とは何か」を問われていたと感じます。働き方改革と言われて久しいですが、それを声高に言っている人は、どちらかというと「雇われ人」の発想ですよね。でも、新しい楽器を開発するみたいな仕事は、何時から何時までで終わらせるという考え方だと難しくて、常に突き詰めていくとか、経営者ではないけれどそういった目線でやらないと、新しいものは生まれにくい。だからそういうことを経験させてもらって面白かったと思います。 楽器市で100個のブースを周って1つを見つけることは別に仕事ではないんです。その先、お客さんがどんな風に喜んでくれるかまで創造して積み上げてくこと、それが自分にとっての仕事だと思うんですよね。そこはもう圧倒的にこちら側が主体で、森田さんがいう「主体性」ってのは、そういうところを意味するんだと思います。

――森田さんどうですか

まずは、全員が必ずしも仕事で充実感を得ないといけないわけではないし、プライベートでやりたいことがある人も含めて全員が激しい働き方をする必要もないでしょう、激しい働き方するにしても健康は大事だよということを大前提として、一方で、仕事で充実感を得たい、楽しみたいのであれば、当時のEYSのようなプレッシャーがかかり、時間的にも体力的にも精神的にも全力で走る経験っていうのがないと、「楽しい」っていうところまで辿りつかないだろうと思うんです。ゲームでもスポーツでも素人レベルなんて面白くはない。言われたことを右から左に流して、マニュアル頑張って覚えるだけでは面白くないですよね。働いて楽しいのって、想定しない理不尽に襲われてその理不尽をやっつけて初めて「楽しい」と感じられる。理不尽をやっつけるためには、体力も知力も気力も精神力も全て必要で、それを身につけないといつまでたっても仕事が楽しくない。 1日8時間ぐらい働くとすると、残りの3分の1の余暇だけで人生を楽しみ切る自信があればいいですが、そうではない人は多かれ少なかれ仕事にコミットして、色々な理不尽を浴びて、その「理不尽を倒す楽しみ」っていうのを見つけた方がいいと思うんです。特に若い頃にそういう経験をしておくのは、人生にプラスになると思いますね。 最近はそういう機会が失われつつある、社会的に過保護みたいなところがあるからだと思うので、自分でちゃんと手を挙げて「やります」って言わないと、そういう機会が巡ってこないところがある。受身の人には厳しく、能動的な人にはチャンスがもっと転がっているような状況です。怖がらずに、まずは手を挙げて走る!といったことをやっていると、今だけでなく3年5年10年20年後ももっと楽しくやれるようになると思うんです。

――理不尽に打ち勝つっていいですね

結局、想定しているものを想定通りにこなしているときは、楽しさなんてないので。世の中、理不尽なことはやっぱりある。それは理不尽だって泣いていても仕方なくて、それをどうねじ伏せるかが、仕事としての価値の出し方だと、そこは大事なことだと思います。

やるからには勝って欲しい

――稲田さんお2人のレジェンドからたくさんいい話が聞けましたが、どうですか若手として

本当にゼロから1を作っていったお話を聞いたなと思っていて。今自分がやっている業務のベースにみなさんの尽力があったとわかりました。今後は、楽器のこだわりポイントをさらに増やしていくことや、より良いものに刷新していかないといけないとすごく思いました。 実は今、楽器に使用する木材を探す海外出張の予定があって、やはりかなり困難なミッションが課されているんですよね。現地でいくつかの木材業者さんとあって、稀少な材料を探してくるような旅なのですが・・・

うん、それきっと失敗すると思うよ(笑)全部失敗して、あと1日しかないぞ、手ぶらでは帰れない、といった時に、稲田さんがどういうサバイブ力を見せるかっていうのが多分、一番面白い場面ですね。

――書かなくちゃ!笑

確かに…「未知の木材に出会う!」みたいなゴールにたどり着く可能性もありますね。

普通に、稀少な木材に出会ったなんてストーリーはつまらないから、まずは全部失敗して、残り時間の中で、何とかせねばいけないという状況に陥って、普通じゃありえないような方法で見つけるんだよね。それ、期待しています。成功率何パーセントとかいう問題じゃなくて、100%成功させなきゃいかんのですよ。

まぁ、成功かどうかは、自分で決めていいと思う。そもそものミッションが難しいものを課せられているので。でも極論、木材とは全く関係ない新しいビジネスに貢献できるものを見つけました、でもいいんじゃない?出張に100万円使いましたけど、100万円以上の価値があるものを見つけてきましたということならね。 でも楽器開発やOtolierという事業の話で言うならば、出張行って得てきた面白い話はネタになるかもしれないけれど、今日話をした「プレゼント楽器」は継続しているとして、「Otolier」という事業は失敗しているんですよ。だからこそ、私たちがいた時の二の舞は踏んで欲しくない。やるからには勝って欲しいと思いますし、稲田さんにそれを託したいですね。

非常にわかりやすく、重く、ありがたい言葉ですね、実体験から頂いている言葉なんだというのが伝わってきます。覚悟をもって取り組んでいきますね。みなさんの叡智を活かしてこれからもやっていきます!本日はありがとうございました。

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