モンゴル・ウランバートルにもオフィスを構えるEYS-STYLE。海外にも拠点を置く企業である以上、その国の歴史や文化などに関して知識を持つことはビジネスパーソンとして当然のことでしょう。
そこで今回は「モンゴルの宗教」を取り上げたいと思います。「宗教」と言葉で書くのは簡単ですが、本質を知るのには広く深い題材で、かつさまざまなとらえ方があります。大枠のみで書いてあることをお含みおきください。
インドから直輸入された!?チベット仏教
現在のモンゴルで信仰されている宗教は、チベット仏教、シャーマニズム、一部地域ではイスラム教など複数あります。中でも広く信仰されているのがチベット仏教です。仏教はご存知の通りインドで生まれた宗教。しかし宗派も様々あり、同じ仏教ではありながら日本の仏教とチベット仏教とは違う点が多々あります。
ここで詳細は割愛しますが、大きな違いは経路と伝来時期。日本にはインドから中国、朝鮮半島を経て6世紀に仏教が伝わったので、中国風にアレンジされた面があります。
一方モンゴルにはインドからチベットを経由しモンゴルに伝えられました。モンゴルが初めて仏教に接触した時期は解釈により諸説ありますが、日本に伝わった時期よりは後である説が有力です。
しかし、チベット経由ではなく、インドから直接モンゴルに伝わったと語る人もいて情報は錯綜しています。
モンゴルと宗教
元々モンゴルでは、山や川に神様が住んでおり、なかでも一番尊い神は天にいるものと考えられていました。この天を崇拝するシャーマニズムが広く信仰されてきました。
今でも郊外に足を運ぶと「オボー」と呼ばれる石を積み上げて、その土地の守護神を祭ったものを目にすることができます。オボーは神様を分かりやすいようにと祀る意味合いで作られているといいます。
しかし13世紀にモンゴルがチベットを侵攻しようとした際に、チベットがモンゴルを懐柔し、この時代にチベット仏教がモンゴルに浸透することになります。フビライなど歴代のハン(君主や有力者が名乗る称号)がチベット仏教を保護したことも、モンゴル国内に広まる後ろ盾となったようです。
1930年代になり宗教が厳しく弾圧されるようになります。当時は寺が破壊され、僧侶も追放されるなど仏教不遇の時代が長く続きました。
一時は衰退したかのように見えた仏教ですが、1990年に自由化政策が始まると同時に宗教も自由化され、寺院も多数建立されるようになり現在に至ります。
モンゴル人のリアルボイス
EYS-STYLEモンゴルオフィスの現地スタッフに、仏教のことを聞いてみました。
ウランバートルなど都会に住む若者は仏教にそれほど関心がないですが、田舎の家庭、50歳より上の層の人々は結構信仰心があります。大体の家は家の北側(最上席)に仏壇を置いており、仏壇にはダライ・ラマの写真、子供の神様の仏像、白い菩薩、緑菩薩の仏像など置いています。
人にもよりますが、毎日仏壇にその日に作った最初の茶を先に仏壇に供えます。また、誰かからもらったお菓子など贈り物があれば、先に仏壇に供えてから食べています。
旧正月が近づくと、みんなお寺のラマ(僧)のところへ行って、厄年の人は厄払いしてもらったり、その年に席が角に当たった(モンゴルではこういう言い方をします)人はそれを直してもらったり、また、新年に自分にいい方向を教えてもらったりします。
元旦の朝に家から出てラマに教えてもらった方向に向かって少し歩いてきます。こうすることで、その年がその人にとっていい年になると考えられています。
上記のような内容を、両親が子供達全員分をラマに聞いてきて、子どもたちはそのことを守って行動をしています。また、両親は子供が遠く行く際に、お寺へ行って「良い旅をするように」とお経を読んでもらったりしますね。
若者は自分からお寺へ行ったりしないですが、なぜか、卒業式にクラスみんなでお寺へ行ってお参りすることが流行っています。
ほんの一部ですが、モンゴル人にとっての仏教の存在、お分かりいただけたでしょうか。
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今回の記事に関しては、これまでの歴史事実を述べただけであり、ここに企業として何か特別に意見をするということではないことをお含みおきください。
参考文献/『地球の歩き方2017~2018モンゴル』ダイヤモンド社
参考サイト/Travel to Mongolia | Juulchin Tourism Corporation
http://jp.juulchin.com/index/index/category/11359