突然の貸スタジオ契約解除通告、この危機的な状況をどのように乗り越えたのか。EYS-STYLE社長 吉岡に、当時の状況について話を聞きました。
■衝撃の契約解除通告
2010年8月、EYS音楽教室の会員数も700人を超え、スタジオの拠点数を増やすことも検討し始めた時期。体験レッスンの予約申込みもたくさん入り、スタッフも新規会員様の入会説明やレッスンスケジュール調整に明け暮れ、忙しくも順調な毎日を過ごしていました。
そこに、突然の衝撃的な連絡が。
当時、スタジオとして使っていた代々木の貸スタジオが、当社との契約を解除するというのです。契約を解除されてしまうと、代々木に通っていただいていた数百人もの会員様のレッスンが一切できなくなってしまいます。スタッフ一同、顔面蒼白。順調な日々が一転、会社の存亡に関わる危機的な状況に、突然陥ったのです。
■なぜ契約解除となってしまったのか?
その理由は単純でした。当時使用していた貸スタジオが、EYS音楽教室のレッスン時間が増えるに従い、一般のお客様が利用できる時間が減ってしまったのです。もともとスタジオを利用していた既存のお客様からのクレームになっているということで、貸スタジオの本部がその状況を懸念し、契約解除通告に至ったというわけです。
はじめは、即日での契約解除を求められました。
しかし、当社としても、スタジオがないとレッスンが開催できません。毎日の会員様のレッスンを突然中止するなんて、できるはずがありません。
なんとかレッスンを継続することはできないか…そこで、社長の吉岡が貸スタジオの責任者に直談判。厳しい交渉の末、なんとか契約解除まで2ヶ月間の猶予を確保したのです。
■血と涙と汗の2ヶ月
2ヶ月の猶予を得たと言っても、全く安心できる状況ではありません。この2ヶ月の間に、なんとか新しいスタジオを確保しなくてはならないのです。そこからスタッフ総動員でスタジオ探しに奔走するも、すぐに借りることができ、条件に合うスタジオは見つかりませんでした。
そして、ついに「自社でスタジオを作るしかない!!」という結論に至ったのです。
スタジオの設立には、当然資金が必要です。しかし、当時のEYS—STYLEにはそんな資金はありませんでした。
融資をお願いすべく、銀行各社にお願いして回りましたが、当時の我々に融資してくれる銀行は一社もありませんでした。某ベンチャーキャピタルから出資の話があるも、EYS—STYLEの経営権を取られてしまうような提案内容。
鋼の精神を持つと自負していた吉岡も、さすがに心が折れかけていたそうです。
■一本の電話でつながった、EYS—STYLEの命
このままではあわやEYS—STYLEも終わりか…という崖っぷちの状況のある日、吉岡が学生時代の空手の後輩と飲みに行くことに。普段は絶対に人に弱みを見せない吉岡ですが、さすがにこの時ばかりは、この状況について後輩に嘆いたのです。
すると、その晩、吉岡の携帯電話にその後輩のお母様より一本の電話が。
「吉岡くん、私が5000万円貸したるわ。」
なんと、吉岡の状況を知ったお母様が、無担保無利子でEYS—STYLEに融資して下さるというのです!!
融資を申し出てくださったのには、深い理由がありました。そのお母様はホテルチェーンを経営されている方で、ご自身も過去に経営者として様々なご苦労をされた経験から「会社の経営権だけは、絶対に外部に売ったらあかん!!」と、経営者として後輩である吉岡に融資してくださったのです。
九死に一生を得るとは、まさにこのこと。
後輩のお母様からお借りしたこの5000万円を資金に、EYS音楽教室の第1号スタジオの設立プロジェクトが、ついに動き出したのです!ここからEYS音楽教室は、新たなステージに進むこととなりました。
信じられないような話ですが、このお母様からの融資がなければ、今のEYS音楽教室はなかったかもしれません。